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| HOME | 2007.10.19 Fri村八分 田舎の病巣
「村八分」とセンセーショナルな言葉で語られた新潟県関川村における住民同士のいさかい。人間同士の争いはどこにでもあることだが、土地に縛られた固定的な人間関係の中で起こってくると話はややこしくなる。
asahi.com(7月6日)によると、
『「通りがまるで深い溝のよう。隣近所で毎日憎しみ合って、地獄に住んでいるみたいだ」 新潟県関川村。わずか36戸の集落は3年間、「村八分」をめぐって分断された。 きっかけはお盆のイワナのつかみ取り大会だった。04年春、「準備と後片づけでお盆をゆっくり過ごせない」と村民の一部が不参加を申し出ると、集落の有力者は「従わなければ村八分にする」と、11戸にゴミ収集箱の使用や山での山菜採りなどを禁じた。 村民11人は同年夏、「村八分」の停止などを求めて有力者ら3人を提訴。有力者側も名誉を傷つけられたとして反訴した。 』 「村八分」をブリタニカ百科辞典で調べてみると、 『村社会の秩序を維持するため,制裁として最も顕著な慣行であった絶交処分のこと。村全体として戸主ないしその家に対して行なったもので,村や組の共同決定事項に違反するとか,共有地の使用慣行や農事作業の共同労働に違反した場合に行われる。「八分」ははじく,はちるの意とも,また村での交際である冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・年忌の10種のうち,火事,葬を除く8種に関する交際を絶つからともいわれ,その家に対して扶助を行わないことを決めたり,村の共有財産の使用や村寄合への出席を停止したりする。八分を受けると,共同生活体としての村での生活は不自由になるため,元どおり交際してもらう挨拶が行われるが,これを「わびを入れる」という。村の解体,農業経営の近代化に伴い,各戸が一応独立的に生計が立てられるとともに,あまり行われなくなってきた。』 村八分とは、江戸時代のことのように思われがちだが、実は現代社会でも存在している。今回の事件は村落を二分するほどの騒ぎになったため、裁判として表に出てきたが、一世帯が村八分となる場合は、ほとんど表に出ることはない。 私も地方の農村出身者だが、故郷で村八分など聞いたことがない。理由としては住民に地区以外からの流入者がいること、また農業の機械化が進み、共同作業が減ったことなどがある。他にも葬儀など、今まで住民の手で行っていたものを、手間を省くために業者を活用する雰囲気が広まってきたことなどがあげられる。 しかし、新潟県の山村となると事情が違うだろう。新規住民の流入がなく全員が顔見知り状態で、対立構造ができあがると、憎しみが固定化してしまう。 今では、あまり話題にならなくなったが、鹿児島県徳之島の選挙は対立候補が村を二分して激しく戦うことで有名だった。選挙後は、公共事業等の配分で勝者が敗者に報復し、選挙のたびにそれが繰り返されるという悲惨な状態が続いていた。 農山村は親和性のある人にとって同一価値観、全員が顔見知りという安心感をもたらすが、親和性のない人にとっては、多様な価値観の否定、匿名性のない社会など、閉塞感に満ちた社会となる。 最近、田舎暮らしが流行っているが、村人の価値観、人間関係の固定度、しきたりの有無、競争作業などをしっかり確認してから移り住まないと、予想もしなかった人間関係で苦しむことになっていしまう。 農民は労働集約的な農業生産のために古来より土地に縛り付けれれてきた。「先祖伝来の土地を守る」というのが農村の美徳であった。逆に言うと、農地がほとんど売買されないような土地柄においては、旧来の閉鎖的な価値観が残っていると考えてよい。 現代社会においてそれらの価値観がどれほど重要な意味を持つのか分からない。年寄りは昔ながらの価値観を懐かしむのかもしれないが、その閉塞感が「自由な都会の空気を吸いたい」という若者の流出を生み、より過疎化を進めたのも事実だ。 もはや、誰もが自由になった時代に封建時代からの重苦しい価値観を引きずることはないはずだ。それを田舎の人が理解するれば、過疎地に自然と心の安らを求めて人々が流入するだろう。 私が10年前、北海道へキャンプ旅行に行ったとき、田舎町の郊外の公園で宿泊しようとした。その時、犬を連れた老人が気軽に声をかけてきたのを忘れない。具体的に何を話したか、はっきり覚えていないが、一言だけはよく覚えている。 「北海道はよそから移り住んだ人ばかりだから、よそからきた人に寛大だよ。だから、公園に誰が泊まろうと文句は言わないんだ」(もちろん北海道にはアイヌという原住民が住んでいる) とても古い映画で「イントレランス」(1916年作)というサイレントの名作がある。 歴史上、いつも不寛容が社会を覆っていたことを主題にした作品で、キリストの受難、バビロン、フランスのサン・バルテルミの虐殺を描いている。 規模は小さいが村八分も同様だ。異なった考えや価値観を許すことのできない偏狭な思考パターンが人々を不幸にする。自分とは違うものを排除するのは、日本人に染み付いた肝っ玉の小さい防御機能だ。 私たちが、イントレランス(不寛容)でなく、トレランス(寛容)であるためには、既存の文化と異文化を上手くミックスし、摩擦を恐れない勇気が必要だ。
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